吉川和夫の月例美術展

<< 動物/植物を描く >>





( 1月度は動物画を描く )

アメリカの動物
米国の国鳥である白頭鷲を描く

( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

アメリカ合衆国では、一時は乱獲、森林伐採による営巣地の減少、餌となる魚の農薬による汚染やポリ塩化ビフェニル(PCB) による汚染などによって分布域が縮小し、個体数も激減したが、継続的な保護活動により現在では個体数が順調に回復している。保護法規には、1940年のハクトウワシ保護法(現・ハクトウワシ・イヌワシ保護法))と1918年の渡り鳥保護条約法がある。合法的にワシの羽を採集するには、まず魚類野生生物局から許可を得なくてはならない。1967年に絶滅危機(Endangered)に分類された。その後、個体数の順調な回復と生息地の存続状況を受け、1994年には絶滅危惧(Threatened)に変更。そして、2007年には米国絶滅危機種リストから完全に除外された。

2005年にワシントン条約附属書Iから付属書IIに引き下げられたことを受け、日本ではアラスカハクトウワシが種の保存法の指定する国際希少野生動植物種から削除された。アメリカハクトウワシは渡り鳥条約により、現在も国際希少野生動植物種に指定されている。

アメリカ合衆国の国章
公式にはアメリカ合衆国の国鳥と指定されているわけではないもののそのようにみなされることがあり、アメリカ合衆国の国章に描かれる。

写真はアメリカの国章です。




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( 12月度は動物画を描く )

アメリカの動物
マウンテンゴート=シロイワヤギを描く

( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

マウンテンゴート=シロイワヤギの生態
山地に生息し、寒冷地では海岸にも生息する。夏季になると標高の高い場所へ移動する。昼行性。ペアもしくは小規模な群れを形成し生活する。争うことは少ないが、冬季になると少ない食物をめぐり激しく争うこともある。

切り立った崖を含めて山岳地帯を巧みに移動し、1日に標高差で数百メートル昇り降りする。蹄の底は登山靴のようになっていて岩の表面をしっかり捉えるほか、3メートルほど跳躍できる

食性は植物食で、木の枝、葉、草、コケ植物、地衣類などを食べる[3]。塩分などミネラルを摂るため岩の表面を舐めることもある。

繁殖形態は胎生。妊娠期間は178-180日。1回に1-2頭(主に1頭)の幼獣を産む。

天敵として ピューマ、カナダオオヤマネコ、オオカミ、クマ、クズリがいる。

写真はアメリカの動物=「マウンテンゴート」です。




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( 11月度は動物画を描く )

アメリカ野牛/バイソンを描く

( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

写真はアメリカ野牛=「バイソン」です。


写真は、2004年6月8日に、アメリカ野牛=「バイソン」の群れを
イエローストン国立公園で撮影しました。危険なので近づきませんでした。



アメリカバイソン(Bison bison)は、哺乳綱 偶蹄目(鯨偶蹄目とする説もあり)ウシ科バイソン属に分類される偶蹄類。 アメリカ合衆国の国獣に指定されている。

呼称
別名「アメリカヤギュウ」。また、特にアメリカ合衆国やカナダの一部では一般に「バッファロー」とも呼ぶが、厳密にはスイギュウを指す単語で、バイソンに使うのは誤称とする意見もあるが、例えば「Ralphie the Buffalo」などのように現在でも混同されて使われることが多い。 アメリカ先住民諸語では主にラコタ族に由来する「タタンカ」と呼ばれる。

人間への危険性
アメリカバイソンは北アメリカの国立公園にて人間が遭遇しうる最も危険な野生動物である。1980年から1999年の間では、イエローストーン国立公園にてバイソンとの接触で事故になった事例はヒグマの3倍以上記録されているが、これはバイソンが駐車場やキャンプ場やホテルや人間用の道路などを訪れることが多いだけでなく、人間が(自分撮りや飲酒による判断能力の低下などの様々な理由があるが)ルールを破って間近にバイソンに近づいたり触ろうとすることが多いためであり、これらの人間の中には場合によってはバイソンを挑発したりバイソンを攻撃する(蹴る)者もいる。

警戒心が強くヒトの行動が刺激を与えやすい。最高時速は70km/hに達し、8キロメートルもの距離を走り続け、高さ1.8メートルもの物を跳び越えるなど脚力でヒトを上回り、バイソンが攻撃をやめない限りヒトが逃げ切るのは難しい。

国立公園ではバイソンに接近できるのは25ヤードまでとされているが、バイソンが自身から近づく場合もあり、バイソンが銃撃に驚かないためさらなる注意が必要である。

接近事故が起きた場合は人間側がルールを守っていたのか否かが争点になる場合も多く、該当者が罰則を受ける事もあるだけでなく逮捕に至る場合もある。

一方でこのような接近遭遇は人間だけでなくバイソンにとっても危険であり、バイソン側が死亡したり、子牛が人間に慣れてしまった結果として殺処分される事例も存在する。中には人間が好意でバイソンの子供を保護した結果として子牛が殺処分されるだけでなく保護した人間側も罰せられる可能性がある。





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( 10月度は動物画を描く )

アメリカエルク/ワピチを描く

( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

写真はアメリカエルク=「ワピチ」です。


ワピチ(英:Wapiti、Cervus canadensis)は、哺乳綱偶蹄目(鯨偶蹄目とする説もあり)シカ科シカ属に分類される偶蹄類。別名キジリジカ、アメリカアカシカ。北アメリカではエルク(Elk)と呼ばれる。

北アメリカ以外の地域では、エルク(elk, elg)とはヘラジカのことを意味する。ヨーロッパのアカシカよりも大きなワピチを北アメリカで初めて見たヨーロッパ人の探検家がこれをヘラジカの一種と誤解し、エルクと呼んだために北米では「エルク」という呼称が一般化した。「ワピチ(ワピティ)」とは、アメリカインディアンのショーニー族の言葉(Shawnee)で「白い尻」を意味するワーピティ(waapiti)に由来する呼称である。





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( 9月度は動物画を描く )

アメリカヒグマ=グリズリーを描く

( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

写真はアメリカヒグマ=「グリズリー」です。
ハイイログマ(灰色熊、学名 Ursus arctos horribilis)


ハイイログマ(灰色熊、学名 Ursus arctos horribilis)は、
北アメリカに生息するクマ科の大型動物で、ヒグマの一亜種である。
日本に生息するエゾヒグマ(U. a. yesoensis)とは近縁である。

解説
別名アメリカヒグマ。また、日本でも同名の映画が公開されて以降、グリズリー(Grizzly)という英名がよく知られている。北米では、内陸に棲む同種をグリズリー、沿岸に棲む同種をヒグマ (Brown Bear) と呼ぶことが多いが、実際のところ、ヒグマと区別する明確な基準はない。
古い時代の区別方法としては「爪が細長く、普通に歩いていて地面に跡が残るほどのものがグリズリー、そうでないものがヒグマ。」や「体毛の先端部が白っぽいものがグリズリー、そうでないのがヒグマ。」というような区分がされていたが、この時点でもアラスカの南部の海岸線や島にいるシトカグマが、外見にグリズリーとアラスカヒグマのどっちとも言えない特徴があるとされていたなど、曖昧な点があった。







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( 8月度は動物画を描く )

アメリカグマ=ブラックベアを描く

( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

写真はアメリカグマ=「ブラックベア」です。


学名=Ursus americanus Pallas
和名=アメリカグマ
英名=American black bear=North American black bear
分布=アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ。
形態=体長オス140 - 200センチメートル、メス120 - 160センチメートル。尾長8 - 14センチメートル。体高80 - 95センチメートル。体重オス47 - 409キログラム、メス39 - 236キログラム。体毛は短い。毛衣は主に黒だが、褐色の個体もいるなど地域や個体変異が大きい。胸部に白色斑が入る個体もいる。同じ親から生まれた幼獣でも体毛の色が異なることもある。 小臼歯のうち左右3本ずつは痕跡的。爪は短く、6センチメートルを超えない。乳頭の数は6個。 出産直後の幼獣は体重200 - 450グラム。春季に冬眠から開けた際には体重2 - 5キログラムに達する。





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( 7月度の植物画 )

アメリカ合衆国のシンボル花=薔薇の花を描く



( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

写真は米国の国花「バラの花」です。


アメリカは50 州が集まって合衆国となったので、以前から各州毎に州花や州木がありました。 しかし、国花を決めていなかったので、1985年にロナルド・レーガン大統領がバラを国花とすることを定めました。





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( 6月度の植物画 )

沖縄県のシンボル花=デイゴの花を描く



( 画用紙 水彩 6号 410x318mm )

写真は沖縄の「デイゴの花」です。


エピソード
デイゴの花が沖縄県の県花として、圧倒的な県民の支持できまりました。 「各県にそれぞれ県花があるのに、沖縄だけ代表する花が決まっていないのはイベントなどで不便」ということから、1965年「沖縄タイムス」と緑化推進協議会の呼びかけで県民投票が行われました。当時はまだ復帰前、「沖縄県」はなかったのです。

呼びかけに7万5千653通もの応募があり、その結果、6万6千252票がデイゴ。次点ブッソウゲ4千276票、テッポウユリ1千848票と、デイゴは圧倒的多数の県民から支持された花でした。

この結果は本土の新聞、ラジオでも報道され、デイゴは沖縄の花として一躍有名になります。ところが県花県木は本来、県民投票を踏まえながら「森林審議会」の選定し、最終的に国が認めるという形で選ばれるものでした。それを待たず、いち早くデイゴは県花として県内外で認められていたのです。

1966年12月20日に県花県木を選定する審議会が開催。「事後承諾で申し訳ないが、すっかりデイゴは県花として通っています。この会議で認められたら名実ともに正式に県花になるのです」という担当者から説明も議事録に残っています。

審議会会長船越尚人氏はじめ委員たちにも異論はなく、「花といい木といい、数ある郷土の花の中でも沖縄を代表する花として最もふさわしい。正式に審議会でデイゴを県花に認める」と全員一致、ここでようやくデイゴは正式に県花となったのでした。





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