2016年7月14日、アメリカ合衆国ボストン市にあるボストン美術館で、
私は、フランス人の画家 ポール・ゴーギャンの作品と三度目の対面をしました。
その作品の題名は「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」です。
2016年7月14日、米国ボストン美術館の画家ゴッホ作品の前で
自分は何処から来たのか
ある日の自画像(1)
自分は何者か
ある日の自画像(2)
自分は何処へ行くのか
ある日の自画像(3)
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☆ 世界的に有名な画家の自画像 ☆
ポール・ゴーギャン(左) ヴィンセント・ゴッホ(中) パブロ・ピカソ(右)
レオナルド・ダ・ヴィンチ(左) ミケランジェロ(中) ラファーエロ・サンチ(右)
葛飾北斎の自画像
★ 葛飾北斎の情念を探して ★
私は、遅蒔きの自称:悠遊浪人ですが、
画狂人と称した浮世絵師・葛飾北斎のように、
弐万点を超える絵画を制作してみたいです。
そして、自分流独特の様式を確立してみたいです。
私は、平凡な愚者ですが、
浮世の評判など気にせずに
放埓老人と言われるほどに
自由奔放な生活をしてみたいです。
私は「生と死」の狭間を幾度も彷徨しましたが、
お陰様で、不思議にも奇跡的に生き続けています。
折角、元気で生かされているのですから、
残りの人生で、したいことを、してみたいです。
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☆ 夢 ☆
自分の夢は、どんな夢なのか
自分の夢は、時々、変化する
夢は、夢です
夢は、儚いものです
(初めての個展で発表した自画像)
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☆ 美にひれ伏して ☆
いまや、私は、
浮世のしがらみから抜け出して
他者の思惑など気にせずに
ひとり我が道を歩んでおります。
森羅万象に、好奇心を持ち続け
その時その時、美に感動したもの
描きたいものを絵描きし
命がある限り、美学を探究します。
美にひれ伏して、勉強を怠らず
孤独に耐えて、夢を追い続けて
しなやかに、強かに、爽やかに
生きて行きたいと思っています。
( 我が道を歩む・・・自画像)
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☆ 求道の旅 ☆
美にひれ伏して、二十数年が経つ。
いま尚、求道の旅を続けている。
( 美術を愛好している自画像)
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* 人生とは何か
* 生きる意味とは何か
* 生きる目的とは何か
* 神は存在するのか
* 人間存在とは何か
* 死とは、どういう事か
* 霊魂は、存在するのか
* 愛とは何か
* 友情とは何か
* 幸福な生活とは何か
* 自分は、いかに生きるべきか
(哲学的思索する・・・自画像)
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昨日の真理は、
今日の真理とは言えない
今日の真理は、
明日になると真理でない事がある
事実は、厳然として存在する
しかしながら、
事実には、
それを見た人の解釈がある
その解釈も、時の経過で変わる
事実には、
それを聴いた人の解釈がある
その解釈も、時の経過で変わる
☆ 神の存在 ☆
神を信じる者には、神は存在する
神を信じない者には、神は存在しない
☆ 幸せ ☆
幸せは、「自分は幸せだ」と思えば、
幸せなのである
不幸は、「自分は不幸だ」と思えば、
不幸なのである
(時空を超えて・・・思索する自画像)
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☆ 心技体 ☆
自分の心は、常に変化する
他者の心は、想定外にある
自分の身体は、常に変化する
他者の身体は、想定外にある
自分の技能は、常に変化する
他者の技能は、想定外にある
(しなやかに生きる・・・自画像)
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☆ 社会的自己存在 ☆
自分の知恵には限りがある
他者の知恵を借りる事が多い
自分の知識には限りがある
他者の知識を借りる事が多い
自分の経験には限りがある
他者の経験を借りる事が多い
自分の力量には限りがある
他者の力量を借りる事が多い
自分の活力には限りがある
他者の活力を借りる事が多い
自分の存在には他者の存在が必要である
他者の助力を借りてこそ自分が存在できる
自分は他者の人格や個性を尊重する
他者の多様な生き方を自分は認める
所詮、自分は社会的な人間存在である
所詮、自分は大自然の中の個体である
(さわやかに生きる・・・自画像)
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☆ 自分は何者か ☆
むかし:自分は腕白な小僧だった
むかし:自分は悪戯な児童だった
ときに:自分は思想の変遷を知った
ときに:自分は病魔と闘う経験をした
たまに:自分は我武者羅に生きた
たまに:自分は無我夢中に生きた
しんに:自分は逆境と挫折を知った
しんに:自分は沈黙と忍耐を体得した
おもに:自分は自他を意識している
おもに:自分は自他の尊厳を認める
ほんに:自分は他者を愛する事を知る
ほんに:自分は他者を憎む事を知らず
いつも:自分は善悪と出会っている
いつも:自分は正邪と出会っている
つねに:自分は心身の健康を考える
つねに:自分は加齢の未来を考える
いまや:自分は平凡な浪人である
いまや:自分は悟りの年齢に近い
自分は大自然の中の個体に過ぎないが
自分は厳然と今日現在を当に生きている
自分は やがて 必然「無に帰する」も
自分は何者か、ときどき考察している
(したたかに生きる・・・自画像)
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☆ 流転の人生 ☆
過去があっての自分である
過去を変えることは出来ない
過去から逃れる事は出来ない
過去を省みず、無意識に生きている
過去の記憶が、徐々に薄くなっている
過去の自他を、ただ忘れたいだけである
過去には、きっぱりと捨てたいものがある
過去には、苦悩と挫折の自分が存在する
過去には、悲喜こもごもの出来事があった
過去には、様々な善悪との出会いがあった
~ 川面に浮かぶ泡沫(うたかた)を見る ~
我が人生は、成るようになった。
先のことなど、判からないけど、
これからも、成るようになる ♪♪♪

(悠遊浪人を自称する自画像)
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☆ 人間の善悪 ☆
性善説によれば、人間の心は、
本来、生まれながらに善なるものである、と。
数多の人間観察をしてきた老いぼれの自分には、
人間の心が、生来、善なるものだと喝破できない。
性悪説によれば、人間の心は、
本来、生まれながらに悪なるものである、と。
数多の人間観察をしてきた老いぼれの自分には、
人間の心が、生来、悪なるものだと喝破できない。
二律相反の「善と悪」で、人間の心の本性を
容易に分析・判断する事は、私には不可能である。
人間と言うものは、
善い心の時もあれば、悪い心の時もある。
正直な心の時もあれば、卑怯な心の時もある。
理性など忘れて、感情だけで行動することがある。
愚か者なる自分には、人間の心は善悪を超えて
その「弱さ」を発見することが多い此の頃である。

(生かされて生きる・・・自画像)
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いま、私にとって、美術が、
最も楽しい修行になっています。
自分流の表現を探し求めています。
省みれば、生まれてきた時から今日までに
事故や病気などで、幾度となく
「生と死」の狭間を潜り抜けてきましたが、
未だに、世知辛い浮世で奇跡的に生きています。
多くの皆様に支えて貰いながら、
折角、生かされているのですから、
心身の鍛錬を続け、日々の勉強を怠らず、
如何なる苦難にもめげず、乗り越えて、
青春の意気に燃えて、活動してゆくつもりです。
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☆ 老化の進行と共に ☆
わが肉体とわが精神の乖離が進んでいる
わが肉体の老化が徐々に進んでいる。
反比例するがごとく、すなわち、年甲斐もなく
わが精神は、若々しく成熟していく自分を造る。
わが肉体とわが精神の「老と若」の乖離は、
年々歳々、広がりを見せている。
熟慮してみれば、この現象は一時的なものだ
人間として、元気で生きている時だけのものだ。
何はともあれ、
人間は、生きている内が華である。
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☆ 浮世に生きる美学 ☆
いまや、私は八十歳代半ばを過ぎました。
自分の肉体に不具合が生じるようになりました。
しかし、精神的には、今なお青春を感じています。
そこで、弱い老体にも拘わらず、今後の自分は、
さわやかに、生きてゆきます ♪
しなやかに、生きてゆきます ♪
したたかに、生きてゆきます ♪
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☆ 老心の沈潜 ☆
反省という言葉は、六十歳まで出ていた
六十歳過ぎて、反省と言う言葉は没した
反省する心身の動きが変化したのだ
悔恨という言葉は、七十歳まで出ていた
七十歳過ぎて、悔恨と言う言葉が没した
後悔する心身の動きが、鈍化したのだ
脱俗という言葉は、八十歳までは無かった
八十歳過ぎて、脱俗と言う言葉が出てきた
自分の心身が、老化の摂理に順応したのだ
脱俗への道は遠くにあらず、近くにある
九十歳の卒寿には、脱俗が可能になるか
体力の老化や劣化が脱俗を促進するのだ
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☆ 自分は何処へ行くのか ☆
未来は予測できない
私達は、不確実な世界に住んでいる
確実に言えることがある
人の死は、必ず、訪れて来る。
ともかく、覚醒して率直に言えば、
老い耄れにして、愚かな私にとって、
絵描きは、終着の最高の遊びである。
その時がやって来るまで
老体の私は、いま現在を大切にして
「レジリエンス」を構築しながら
美的創造の遊びを大いに楽しみたい。
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