★ 尊敬する二人の画家 ★



 私には、尊敬する画家が沢山に存在します。しかし、
 その中でも、画家・堀文子と浮世絵師・葛飾北斎の
 二人の画家には、特別の想いがあります。





画家・堀文子氏は、
私が最も尊敬している画家の一人です。



画家・堀文子さんが、残された名言を集めました



 ☆「知る」欲求が絶えないから、
 人生に飽くことがありません。

 ☆自分が一番だと傲慢にさえならなければ、
 常に得るものはあるのです。

 ☆”生命”は、生きる時は生きるし、死ぬときは死ぬ。
 今を一心不乱に生きていれば、いいのだと思います。

 ☆いつも「現在」に興奮していたい。

 ☆体が衰えるのは自然の摂理。
 でも、感性は衰えない、と感じています。

 ☆価値観はその人個人のもの。
 千差万別でいいはずです。

 ☆人間は欠陥が大事なのです。

 ☆「恥を残して死にたくない。」なんて焦ったこともありましたが、
   この恥を見て笑った人もいずれ死ぬんですから、「まあいいや」
   と思うようになり、整理の出来ないまま年をとりました。

 ☆人は日々のしくじりと悔恨を背負いながら、
 二度と帰らぬ時の流れに身を委ねて生きるのだ。
 修正のできぬ過去をきっぱりと捨て、
 何が起こるか分からぬ未知の明日を,
 心を空にして迎えたいと思う。

 ☆他人がどう生きようと、その人の勝手。
 もし価値観が合わないのなら、
 その人から遠ざかればいいだけの話です。

 ☆友人関係とは、究極の「遊び」だと思っています。
 もっと言えば、一種の美学の世界です。
 お互いの美学がかけ離れていると、うまくいかないものです。
 絵という、生活には直接役に立たない「美」の世界=「遊び」の世界で
 生きていますから、人間関係にも余計な美学を求めています。
 誰だって、他人に言いたくないことがあります。
 お互いに向いている方向も育ちも違います。
 知人であれ、友人であれ、
 他人に深く入り込まないのが、おつきあいの礼儀。

 ☆親しき仲こそ、互いの領域に立ち入らない。

 ☆いつでも感動していたい
 そのためにも、
 私は自由に生きたいのです。

 ☆天性、人間はひとりぼっちです。 一人が当たり前なのです。
 だからこそ、友人も必要ですが、それと同時に、自分の人生は
 自分で決めるしかないという孤独と向き合わなくてはなりません。

 ☆何も持たないことは、すべてを持っていること。

 ☆群れない、慣れない、頼らない。

 ☆老人は忙しい。近づいた死を想い煩うほど、
 私の終末はなかなか、忙しくなってきたのです。

 ☆身体が衰えてきますと、
 誰でもが何も出来ない諦めの老人と思うでしょう。
 けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます。
 いままで「知っている」と思っていたことが、
  本当は「知らなかった」と。
 それが、だんだん分ってくるのです。

 ☆息の絶えるまで感動していたい。

 ☆人間も、環境も、常に変化する。
 だから、面白いのだと思います。

 ☆私の中に潜む未知の能力が
 まだ芽を吹いてないんじゃないかと、
 諦めきれないでいるんです。

 ☆現状を維持していれば無事平穏ですが、
 新鮮な感動からは見捨てられるだけです。

 ☆反省なんてしないで、
 自分のことを「バカー!」って叱るのがいちばん。
 バカでいたくなければ、自分でなんとかするでしょう。

 ☆奢らず、誇らず、羨まず、欲を捨て、
 時流をよそに脱俗を夢みて、
 私は一所不在の旅を続けてきた。

 ☆自分の無能を恥じ、己との一騎打ちに終始し、
 知識を退け、経験に頼らず、
 心を空にして日々の感動を全身で受けたいと心掛けた。

 ☆肩書きを求めず、ただ一度の一生を美にひれ伏す、
 何者でもない者として送ることを志してきた。

 ☆人を見る時も本能で、好きか嫌いかで、
  損得では決めません。
  地位や名誉、肩書きなんて移ろいやすいもので、
 それに振り回されないようにすることです。

 ☆恥を笑われることの心配をしているより、
 折角生きているのだから
 したいことをしたいと思います。
 もう時間は残りすくないのです。

 ☆一生は一回しかないんですよ。

 ☆「旅はひとり」と言う信条に従って、
 言葉も出来ぬのに、海外での一人旅を続けてきた。

 ☆主張せず、押し付けもせず、
  雲や水のように形を求めず、行方もしれない絵。
 修練や努力も役立たず、定義の仕様もない。

 ☆私は絵で自己主張しょうという意思もなく、
 名を揚げようという気も無く、
 心に響く美しいものを記録しながら此処まで来た。

 ☆その時その時をどう生きているか、
 その痕跡を絵に表すので
 一貫したした画風が私にないのだ。
  結果として画風が様々に変わって見えても、
 それはすべて私自身なのである。

 ☆「絵とは?」年とともに
 益々その意味も効用も解らなくなる、
 この原始的行為。
 言葉の助けも借りず、絵は通訳なしに時空を超えて、
 人の感性と交信することができ、
 その働きは自由この上ない。

 ☆絵は結果です。排泄物みたいなものです。
 何故此の絵かと言われても、本人だって分からないのです。
 文字も言葉も生まれない時から人は何かを刻んだり記録していたり
 したのではないでしょうか。踊ったり、走ったり、食べたりする事
 と同じじゃないでしょうか。

 ☆それに耐えるだけの体力と気力がないと、
  真剣に遊ぶことも出来ない。

 ☆人間に屈服しないためには、闘わなければなりませんが、
  私は闘うのが嫌いです。そうなると、脱走するしかない。
 こんな子供じみた解決をする自分を恥じながら、
 私はその後も、
 「闘わず屈服せず」という姿勢で、生きてしまいました。

 ☆吹雪となって花は散っていった。
 すべてが夢か幻だったように。
 どんなに惜しんでも、時の流れのなかに
 かき消えていかねばならぬ花の命のはかなさを、
 私達は己の行く末の姿として見据えているのではないか。

 ☆生きるものはやがて死に、会うものは別れ、
 財宝も名利も仮の世の一時の驕りであることが
 否応なく見えて来る今日この頃である。

 ☆此の先、どんなことに驚き熱中するのか。
 私の中の未知の何かが芽を吹くかもしれないと、
 これからの初体験に期待がわく、
 私にはもう老年に甘えている暇などないのだ。

 ☆私も機嫌よく死にたい。
  生き生きと死にたいということは、
  沢山の先輩から学びました。
 そういう方がこの世からどんどん消えてゆきます。

 ☆死は、人間に課せられた一度きりの初体験であり、
 誰の真似もできず、誰の助けを借りることも出来ない。
 私が、これから、どのような過程で死を迎えるのか、
 私は私の成り行きを眺めるつもりである。

 ☆九十の歳を迎えた今、逆らう事を忘れ、成り行きのままに
  生きる安らぎの時が、いつの間にか来たようだ。





画家・堀文子氏の著作品
「私流に現在を生きる」、「ホルトの木の下で」など、
数冊の著作品を閲覧/拝読しました。
心が洗われるような書物でした。

更に、各地美術館の堀文子特別展で
絵画作品を直接鑑賞しました。
私は、見事な作品にすっかり感動しました。



私は、 画家・堀文子氏の肖像を描きました。




堀文子氏の来歴

永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業。府立第五高等女学校時代に自宅近くで二・二六事件に遭遇した。 女子美術専門学校在学中の1938年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業し新美術人協会会員。『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画や装幀を描き生計を立てる。 29歳の時に外交官の箕輪三郎と結婚するも43歳のときに死別。

1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出る。旅の中でアンフォルメル、シュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰する。 1967年に神奈川県大磯に転居。1974年創画会の結成に参画。

1974年に多摩美術大学日本画科教授に就任。その後、多摩美術大学客員教授として日本画の指導を行う。1999年に多摩美術大学客員教授を退任。 1981年に軽井沢にアトリエを構える。1987年にイタリアアレッツォにアトリエを構える。1992年にアレッツオ市で堀文子個展を開催。1995年にアマゾン川、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチ旅行。1999年に創画会を退会。 2011年に女子美術大学より名誉博士の称号を得る。

2000年、82歳の時に幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を踏破(「アーティストたちの挑戦 ヒマラヤ 高き峰をもとめて 日本画家 堀文子」(NHK収録/放送、2000年)。2001年に解離性動脈瘤で倒れて以降、長期間の取材旅行に出かけられなくなったことから微生物に着目し、海中に生きる命をモチーフとする作品を発表。これらの作品は画文集や個展で発表された。

自然の中に存在する命や花鳥をモチーフとする作品を多く制作し「花の画家」と呼ばれた。専門の日本画の他、装幀、随筆でも多くの作品を発表した。神奈川県大磯町に在住していた(2012年時点)。 2019年2月5日午前0時56分、心不全のため平塚市内の病院で死去。100歳没。








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私が模写し描いた浮世絵師・葛飾北斎の自画像


神奈川沖波裏                     凱風快晴




葛飾北斎


没年:嘉永2.4.18(1849.5.10)
生年:宝暦10.9.23?(1760.10.31)
江戸後期の浮世絵師。浮世絵師のなかで最も長い70年余の作画期中,画風を次々と変転させながらも各分野に一流を樹立した浮世絵派を代表する絵師。のみならず印象派をはじめとする近代の世界美術に多大な影響をおよぼし,今日国際的に評価されている。

江戸本所割下水の川村家に生まれ,幕府の御用鏡磨師中島伊勢の養子となる。俗称鉄蔵,晩年は三浦屋八右衛門と名乗る。(勝川)春朗(1779~94頃),宗理(1794~98),北斎(1796~1814),戴斗(1811~20),為一(1820~34),卍(1834~49)の主要な画号のほか,画狂人(1800~08)など三十余の号を使用した。

画業は主要画号の使用時期を基準に6期に区分するのが一般的である。春朗期は,勝川春章に入門したとされる安永7(1778)年から勝川派を出る寛政6(1794)年ごろまで。初作は安永8年の細判役者絵3点。細判役者絵を中心に多種多様な画作をしており,習作期ということができる。次が寛政10年までの宗理期。狂歌本の挿絵,摺物,肉筆美人画を主とし,北斎独自の「宗理型美人」を創出して人気絵師となる。この宗理期から次の北斎期にかけては積極的に諸派諸流を研鑽しており,狩野融川,3代堤等琳,住吉広行らに学んだと伝えられている。

続いて文化11(1814)年ごろまでの北斎期。この期は,北斎の画業の一大進展期,様式の確立期であり,あらゆる分野に活躍したが,『隅田川両岸一覧』(1806頃)などの絵入狂歌本,長判を主体とする摺物,「くだんうしがふち」に代表される洋風風景版画,『小説比翼文』(馬琴作,1804)にはじまる読本の挿絵,宗理型美人をさらに発展円熟させた肉筆美人画はそのなかでも特筆に価しよう。

その後の戴斗期は短いが,『北斎漫画』(初編は1814年刊)を続刊するなど,絵本・絵手本に主力を注いだ時代である。為一期の前半は色紙判の狂歌シリーズ摺物が注目され,後半は「富岳三十六景」(1831~34頃)46枚に代表される風景版画・花鳥版画の大成期であり,著名な風景版画のシリーズはこの時期に集中している。最晩年の卍時代は,『富岳百景』(初編は1834年刊)などの絵本・絵手本類と肉筆画に専念した。卍期の肉筆画には超俗的で異様な妖気が漂い,老いてますます絵に没入する北斎の面目躍如たるものがある。

生涯に30度以上居を変え,金銭に無頓着で身なりかまわず,人を驚かすことが好きであった北斎は,自らの造形力の向上を信じて画業一筋に生きた“画狂人”であった。『富岳百景』初編には自ら「九十歳にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん歟百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん」云々と記している。

<参考文献>飯島虚心『葛飾北斎伝』,楢崎宗重『北斎論』,鈴木重三『人間北斎』,安田剛蔵『画狂北斎』,永田生慈『葛飾北斎年譜』 (浅野秀剛)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版/朝日日本歴史人物事典について 情報






葛飾北斎の自画像




世界的に有名な葛飾北斎


北斎の絵はすでに江戸時代末期から外国で知られていて、例えばオランダ商館の医師として来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年から1866年まで)が、1832年から1851年までにかけて出版した自著『Nippon』の挿図に『北斎漫画』の図柄を用いています。
しかしながら、その名がより広範に知れ渡ったのは、1867年のパリ万国博覧会を皮切りにジャポニスム(日本趣味)が起こってからです。この博覧会で数多くの美術工芸品とともに浮世絵が紹介され、その大胆な構図や明るい色彩は、従来のヨーロッパの絵画にはなかったものであり、ヨーロッパの芸術家たちに大きな影響を与え、印象派誕生のきっかけとなっています。

北斎に影響を受けた画家には、ビンセント・ヴァン・ゴッホ(1853年から1890年まで)やエドガー・ドガ(1834年から1917年まで)などがいて、ドガは『北斎漫画』を参考にした人物像を描いています。また、アンリ・リヴィエール(1864年から1951年まで)は、「冨嶽三十六景」を下敷きに「エッフェル塔三十六景」という版画シリーズを制作し、アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家のエミール・ガレ(1846年から1904年まで)は、『北斎漫画』の鯉を図案に取り入れた花瓶を世に送り出しています。音楽家のクロード・ドビュッシー(1862年から1918年まで)も「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に発想を得て、交響詩「海」を作曲したとされています。

このようにヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えた北斎は、世界における評価が高く、1960年には、ウィーンで開催された世界平和評議会の席上において、世界の文化巨匠として顕彰され、また1998年には、アメリカの有名なフォトジャーナル誌『LIFE』が発表した『ザ ライフ ミレニアム』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の中で、日本人で唯一北斎が選ばれています。

出典:すみだ北斎美術館







※ 検索:葛飾北斎

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』







私が模写し描いた浮世絵師・葛飾北斎の自画像




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