( 4月度の風景画 )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 3月度の風景画 )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 2月度の風景画 )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 1月度の風景画 )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 12月度の風景画 )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
( 11月度の風景画 )
( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )
★ 華厳の滝を描く ★
自殺の名所
1903年(明治36年)5月22日、一高生の藤村操がこの滝の近くにある樫の木を削り、「巌頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して投身自殺した。この出来事や遺書は大きな話題となり、講師であった夏目漱石などにも影響を与えるが、その後数年のうちに藤村に追随する自殺が相次いだため、自殺の名所という評判が立ってしまった。
なお、自殺の遺体は滝つぼまで落下せず回収が困難となることがある。2019年の例では、9月1日に滝から60m下の岩場で遺体が発見されたが現場へ到達できず、10月4日に周囲を通行止にしたうえで大型クレーンを数台現地に運び込み遺体回収が行われた。過去に回収が行われたケースでは、約300万円の費用がかかっており遺族に請求が行われる。
★ 日光東照宮で、「三猿」を描く ★
江戸初期の左甚五郎作と伝える日光東照宮のレリーフは、明治時代になると海外にも紹介されて、やがて世界的に最も有名な三猿のひとつとなった。
インドのマハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、教科書などに「ガンディーの三猿」が掲載されている。また、アメリカ合衆国では教会の日曜学校などで三猿を用い「猥褻なものを見ない」「性的な噂を聞かない」「嘘や卑猥なことを言わない」よう諭すことがあるという。
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★ 筑波山を描く ★
★ 袋田の滝を描く ★
日本の名勝に指定されている。華厳滝、那智滝とともに日本三大名瀑の一つに挙げられる場合もあり、日本の滝百選にも選定されている。1990年(平成2年)に行われた日本の滝百選の人気投票では1位を取った。奥久慈県立自然公園に指定されているが、華厳滝が日光国立公園、那智滝が吉野熊野国立公園に指定されているのに対して、袋田滝は国立公園にも国定公園にも指定されていない。
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★ 会津若松市の鶴ヶ城を描く ★
★ 会津若松市にある白虎隊墓地を描く ★
会津藩の敗色が濃くなる中での飯盛山での自刃で知られるが、戦死や自刃をしなかった隊士約290人は明治維新後を生きた。
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★ 酒田市の山居倉庫を描く ★
1893(明治26)年に建てられた米保管倉庫です。
米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。
白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。
夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、
自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。
敷地内には酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設され観光客で賑わっています。
樹齢150年以上のケヤキ35本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり見る人を魅了します。
★ 山寺立石寺の開山堂と納経堂を描く ★
山寺の正式名称は、立石寺(りっしゃくじ)と言い、千年以上続く由緒あるお寺です。
昔から悪縁切りのお寺としても信仰を集めています。
切り立った崖に張り付いているようなユニークなロケーションと素晴らしい絶景です。
大きな岩の上にある小さな赤いお堂は、納経堂です。その隣に開山堂があります。
開山堂は、立石寺を開いた慈覚大師円仁を祀るお堂です。
絶景で有名な五大堂は、開山堂のもう少し奧にあります。
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★ 角館の武家屋敷を描く ★
★ 田沢湖畔の辰子姫像を描く ★
田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。
辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。
満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。
辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、
苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。
時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。
一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟のほとりに着き、娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいった。後に国鱒と呼ばれ、田沢湖にしか生息しなかった木の尻鱒という(田澤鳩留尊佛菩薩縁起より)
さて、十和田湖を南祖坊に追われ、男鹿半島に八郎潟をつくり主となった八郎太郎は、毎年秋の彼岸の頃、田沢湖に恋人の辰子を訪ねて冬を過ごすため、主のいない八郎潟は凍りつき、2人の龍神が住む田沢湖は冬の間も凍らない湖として知られている。(三湖物語より)
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★ 松島湾の島々を描く ★
千貫島 仁王島
鐘島 五大堂のある小島
260余りの諸島が点在する松島湾の風景は、日本三景のひとつにも数えられる美しさです。
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