~ 希望の中に生きる ~
美術修行悠遊浪人の進路




私は加齢に因り、
肉体は老化しています。
しかし、未だに、
精神は青春期でいます。
いま、希望の中に
爽やかに生きています。

私にとって、
大切なものとは・・・
 *健康
 *安定・平和
 *尊厳・尊敬
 *人格・自己の確立
 *自然との調和
 *友情・隣人愛
 *余暇・趣味








☆ 沖縄観光旅行 ☆ 


( 2017年3月28日 沖縄美ら海水族館 )





沖縄県ゆかりの政治家を描く

●屋良朝苗      ●太田昌秀     ●瀬長亀次郎


☆ 沖縄の米軍基地問題 ☆


豊かな自然と独特な文化を有する沖縄は、太平洋戦争において、史上まれにみる熾烈な地上戦が行われ、「鉄の暴風」と呼ばれたほどのすさまじい砲撃により、緑豊かな島々は焦土と化しました。
沖縄に上陸した米軍は、住民を収容所に強制隔離し、土地の強制接収を行い、次々と新しい基地を建設していきました。住民は土地を有無を言わさず奪われました。

日本本土では昭和31年(1956年)の経済白書で「もはや戦後ではない」とされ、高度経済成長が始まりましたが、ちょうどその時期に、本土の米軍基地の整理縮小の流れを受けて、本土から沖縄に海兵隊の移転が進みました。

戦後、沖縄は、昭和47年(1972年)の本土復帰まで27年間にわたり、米軍の施設権下にありました。本土復帰後も、本土では基地の整理縮小が進む中、沖縄には多くの米軍基地が日米安全保障条約に基づく提供施設・区域として引き継がれ、県民は過重な基地負担を背負うことになり、現在もその負担は重くのしかかっています。

戦後すぐの昭和20年(1945年)から昭和24年(1949年)までの5年近く、本土では戦後の復興政策が図られる中、沖縄はほとんど放置状態で「忘れられた島」と言われました。これは、アメリカの軍部と政府側の調整に時間がかかり、明確な統治政策が図られなかったためです。
その後、昭和24年(1949年)5月にアメリカ政府は沖縄の分離統治の方針を決め、昭和25年(1950年)2月にGHQが沖縄に恒久的基地を建設する声明を発表し、沖縄の分離統治を決定しました。この時から米軍による沖縄の基地化が進んでいきました。

昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条により日本は独立国としての主権を回復しますが、その代償として、沖縄は日本本土から分断され、米国の施政権下に置かれました。沖縄には日本国憲法の適用もなく、国会議員を送ることもできませんでした。

また、米軍の施政権下におかれた沖縄は、27年間もの間、日本政府から十分な支援を受けることができませんでした。その結果として、昭和47年(1972年)に本土に復帰した時の沖縄は、道路、港湾、学校、病院、住宅など社会資本のあらゆるものが不足していた状況でした。

*米軍基地問題~沖縄にある米軍基地の状況
沖縄県には、31の米軍専用施設があり、その総面積は1万8,609ヘクタール、沖縄県の総面積の約8%、人口の9割以上が居住する沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は東京23区のうち13区覆ってしまうほどの広大な面積です。
沖縄が本土に復帰した昭和47年(1972年)当時、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合は約58.7%でしたが、本土では米軍基地の整理・縮小が沖縄県よりも進んだ結果、現在では、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.6%が集中しています。(平成29年1月1日現在)




☆ 尾瀬ハイキング ☆ 

( 2017年5月28日 群馬県沼田市 )





☆ 9回目の北海道旅行 ☆ 

~ 2017年7月 ~

納沙布岬、根室、釧路、釧路湿原、帯広、十勝、襟裳岬、日高など














☆ 美術修行の道筋 ☆




    自然の風景は、刻々、変化します
    私の心境も、時々、変化します

    私の身体には既に老いが来ています
    肉体の若さが二度と戻る事はないです

    私は脱俗を試みるも、未だ、心身に
    多少の欲望が残滓しています

    絵描きへの気力は充分に存在してます
    わが美術修行は、希望の中にあります





☆ 韮崎大村美術館を訪問 ☆ 

( 2017年9月15日 山梨県韮崎市 )








☆ 美術館めぐり参加 ☆ 

( 2017年10月26日 町田市美術協会の企画)

静岡県長泉町  ベルナール・ビュフェ美術館


静岡県長泉町  井上靖文学館


静岡県長泉町  ヴァンジ彫刻庭園美術館


静岡県長泉町  クレマチスの丘




2017年12月、台湾国 基隆市海岸にて




☆ 大腸癌の切除手術 ☆ 



   その日は、2018年1月16日だった
   その場所は、町田市民病院の外科病棟だった

   私は、極度の便秘が続いた為に
   障害だった大腸腫瘍の切除手術を受けた
   医師の見立ては、大腸癌とのことだった
   手術方法は、腹腔鏡手術であった
   S状結腸部分を20cm切除して貰った

   医師は、癌腫瘍の進行度ステージⅡだという
   ステージⅡの5年相対生存率は90.0%である
   癌細胞の他臓器への転移は発見できなかった
   その為、抗がん剤服用の必要性はなかった
   お陰様で、便秘は解消し快適な生活に戻った

   しかし、ステージⅡの再発率は12.5% だという
   今後の定期的身体検査は必要になった
   3か月ごとに、採血による検体検査を受ける
   6ヶ月ごとに、CT撮影の検査を受ける
   1年ごとに、内視鏡検査を受ける

   自分の健康管理は、担当医と相談しながら
   自分自身で行うのが基本原則だと断ずる
   治療情報は、新聞やテレビ番組のみならず
   図書館やインターネット検索で、情報を集めている
   友人や知人からの情報も参考にしている

   いま、わが心の旅をし、美術に没頭している
   あと、何年、生き延びるか分からないけれど、
   健康を維持し、日々の生活を楽しみながら、
   しなやかに、爽やかに、生き続けるつもりである。





2018年7月、中国 万里の長城にて




☆ 美術館めぐり参加 ☆ 

( 2018年10月18日 町田市美術協会の企画)

東京都新宿区霞ヶ丘  聖徳記念絵画館


東京都港区元赤坂  国立迎賓館赤坂離宮




2019年3月10日、希望の中に生きる
大腸癌切除手術後、約1年2ヶ月経過の姿





2019年5月、ベトナム国 ハロン湾にて




☆ 美術館めぐり参加 ☆ 

( 2019年6月3日 町田国際版画美術館友の会企画)

神奈川県真鶴町  中川一政美術館


静岡県熱海市   MOA美術館










☆ 浮世に生きる美学 ☆



      いまや、私は八十歳代半ばを過ぎました。
      自分の肉体に不具合が生じるようになりました。
      しかし、精神的には、今なお青春を感じています。
      そこで、弱い老体にも拘わらず、今後の自分は、
      希望の中で、美術の修行悠遊を進めてゆきます。


      さわやかに、生きてゆきます ♪
      しなやかに、生きてゆきます ♪
      したたかに、生きてゆきます ♪







☆ 美術館めぐり参加 ☆ 

( 2019年10月9日 町田市美術協会企画)

山梨県甲府市  山梨県県立美術館


山梨県甲州市  臨済宗恵林寺庭園


山梨県勝沼町  勝沼ハーブ園








☆ 美術館めぐり参加 ☆ 

( 2019年11月14日 町田市立国際版画美術館友の会企画)

東京都豊島区目白  切手の博物館


東京都豊島区目白  学習院大学史料館


東京都豊島区西池袋  自由学園明日館








☆ 美に対する感性 ☆ 



    五月の女神マイアが微笑んでいる。

    近くの野山は、新緑で美しい
    自然界に漂う摂理が見えて来る。

    私は社会的には高齢者扱いになったが
    いまも、我が心に老人という意識はない。

    ときに若い青年のような情感が溢れ出て来る
    萌える激情を抑える理が脳裏に逍遥して来る

    私には旅での感動、美への感性が静逸に在る
    老いてこそ、生きているだけでも意味が在る








〇 10回目の北海道旅行 〇

~ 2019年7月 ~

札幌市、旭川市、遠軽地方、紋別市、富良野美瑛など







(2019年7月10日 北海道富良野の富田ハーブガーデンにて)







☆ 琉球文化への想い ☆ 

2019年10月31日



        今朝、沖縄の首里城が焼失したとの報道に接しました。
        沖縄のシンボルが、一瞬にして失われて、実に悲しいことです。
        私は、この首里城には、3回も訪問しました。
        そして、その美しさを絵に描きました。
        ここに、沖縄の皆様に、そして、琉球文化を愛する皆様に
        心から、お見舞い申しあげます。






首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城である。
首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものである。

首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられている。いくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在する。これらの特徴は、首里城に限られたものではなく、グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴であった。他のグスクは首里城との競争に敗れ滅んでしまったが、首里城はグスクの特徴を保持しながら新たな発展を遂げたのである。

首里城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西を正面としている。西を正面とする点は首里城の持つ特徴の一つである。中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けている。正殿や南殿、北殿はその代表的な例である。

首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもあった。また、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。さらに、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた。首里城は文化芸術の中心でもあったのである。

1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われた。1930年代には大規模な修理が行われたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼した。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後に復元事業が推進され現在に及んでいる。復元された首里城は、18世紀以降をモデルとしている。2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録された。







☆ 沖縄の風景を描く ☆ 

私の沖縄旅行は5回に渡っています












☆ 武相荘を見学 ☆ 

東京都町田市にある白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅






武相荘(ぶあいそう)とは、東京都町田市にある白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅。
現在は「旧白洲邸・武相荘」として、記念館・資料館となり一般公開されている。

館長は白洲夫妻の長女・牧山桂子。武相荘の名の由来は、白洲次郎のユーモアから「武蔵の国と相模の国の境に位置する」事と「無愛想」を掛けたもの。
敷地面積約二千坪。

沿革
武相荘の歴史は1942年(昭和17年)10月、白洲夫妻が当時の東京府南多摩郡鶴川村(現在の東京都町田市能ヶ谷)に農家を購入した事に始まる。その数年前から白洲夫妻は、戦況の悪化による空襲や食糧難を予測して農地の付いた郊外の家を探しており、当時の使用人の親戚が鶴川村で駐在をしていた縁で購入した。
当時の次郎は日本水産・帝国水産統制株式会社(後のニチレイ)役員であったが、職を全て抛ち、退職金を注ぎ込んで購入した。内部は荒れていたため当初は東京市新宿区水道町(現在の東京都新宿区)にあった自宅から通い、ゆっくり修理すればよいと考えていたが、戦況の悪化に伴い1943年5月に正式に転居。自給自足の農民生活を始める。次郎41歳、正子33歳だった。水田と畑があり、以後の次郎は終戦まで専ら農作業に勤しんだ。

当時から次郎は「カントリージェントルマン」を自称。敢えて中央の政争や喧噪から距離を置き、地方に在住しつつ中央の情勢に目を光らせるという英国貴族の考え方で、これはケンブリッジ大学留学時代の学友で生涯の親友である、7世ストラトフォード伯爵ロバート・セシル・ビングの影響が大きいと言われている。

1943年、戦火を免れるため梅若流の能面・衣装など先祖伝来の品を預かる。

1945年から2年間、東京大空襲で焼け出された河上徹太郎夫妻と同居。以後も親交を深める。正子は、このことをきっかけに青山二郎や小林秀雄と知り合う。正子は、武相荘での暮らしを『鶴川日記』に描いている。「自伝抄 鶴川日記」というタイトルで「読売新聞」1978年7月から2か月連載したものがまとめられ、1979年に出版されている。

敗戦後、次郎は吉田茂の要請で終戦連絡中央事務局の参与に就任してGHQとの交渉や日本国憲法制定、通商産業省(現在の経済産業省)設立に尽力し、政界引退後は東北電力会長などを歴任。正子は青山二郎や小林秀雄との交流を通じて骨董・随筆家として活躍するが、夫妻とも亡くなるまで武相荘を住まいとした。

1985年に次郎が、1998年に正子が死去。

2001年10月より記念館・資料館として一般公開。

2002年11月、町田市指定史跡に指定される。






☆ 散策旅を楽しむ ☆




    私は、散策旅を日常の習慣にしている

    六十歳代は、平均8kmの歩行距離だった
    七十歳代は、平均6kmの歩行距離だった

    八十歳代前半は、平均5kmの距離になった
    八十歳代後半は、平均3kmの距離になった

    速歩を楽しむが、歩く速度も落ちて来た
    散策旅を楽しむが、途中休憩が増えて来た

    登り坂を歩くのが、とても辛くなって来た
    急な下り階段を避けて通るようになった

    肉体の老化は、確実に進行し続けている
    日々、徐々に老いぼれて行くのが侘しい

    この加齢の侘しさを払拭したい
    そのために、ジム通いを始めている

    いま、肉体の強化に鋭意努力している
    私は、美しい青春の心身を取り戻したい





★~●  コロナ禍の美術活動  ●~★

(2020年3月14日、町田市立国際版画美術館にて)




◎☆ 東京都町田市内の郊外里山を散策旅する ☆◎
~コロナ禍の下で、遠方への旅を自粛中~
撮影日:2020年7月13日、7月22日、9月30日、11月8日、11月19日。
2021年2月7日、3月26日、4月4日、5月28日。

















☆ 当てもなく逍遥する ☆




    ふと、立ち止まって、
    里山に、四季の移り変わりを見る
    時々、美しい風景に感動する事がある
    聴こえて来る小鳥の鳴く声に癒される

    散歩旅の途中で、
    出会した神社・仏閣に参詣することがある
    その境内で神仏の存在を暫し考える事がある
    そして、自分の「生と死」を考える事がある

    歩く自分に疲れて、
    散策旅は無駄な事かと疑う事がある
    いやはや、
    散策旅は無職無頼の高齢者にとって
    いまや、普遍的なものと考えるに至る

    徒然に、静謐なひとときに
    自分の生き方を見詰める事がある
    わが行く末の妄想が限りなく広がる
    自分は如何なる人間か迷想している

    我が家に帰宅して、
    あるがままの自分自身を認識する
    いま、生きている事が素晴らしい
    これからも、艱難に耐えて、末永く
    生きて、生きて、生き抜く覚悟でいる









★~●  コロナ禍の散策旅  ●~★

(2021年4月19日、町田市 芹ヶ谷公園にて)







☆ 老春期に楽しく生きる ☆



    コロナ禍で、遠方への旅が出来なくなりましたが、
    最近の私は、近場の散歩旅を愉しんでおります。

    いまや、私は明らかに老いぼれになりました。
    自分の身体には、疾病や不具合が生じています。

    しかし、精神的には、今なお青春を感じています。
    「美」に対する感性は、衰えることなく新鮮です。

    そこで、今後の自分は虚弱な肉体を抱えながらも、
    美術修行の悠遊を心行くまで楽しむつもりでいます。






2021年10月3日
東京/上野の東京都美術館内
2021汎美秋季展会場にて





☆ 希望の中に生きる ☆



      私は辛い事の多い現世で、
      さわやかに生きています。

      老い耄れになりましたが、
      しなやかに生きています。

      「レジリエンス」を構築し、
      心身の劣化を防ぎながら、
      まず、健康第一を心掛けて、
      長い老春の旅を続けています。

      今後は、美術修行を悠遊しながら、
      脱俗の世界を夢想してゆきます。
      且つ、希望の中で、したたかに、
      生きて、生きて、生き抜きます。







2022年3月16日
「友の会展」の展示会場にて
(東京、町田市立国際版画美術館)





☆ 「日本画家・堀文子・百年の旅」 ☆
2022年7月4日
秋田県立近代美術館にて「堀文子美術展」を鑑賞する。



日本画家・堀文子の言葉
~~~~~~~~~~~~~~

    ☆九十の歳を迎えた今、逆らう事を忘れ、成り行きのままに
     生きる安らぎの時が、いつの間にか来たようだ。

    ☆吹雪となって花は散っていった。
    すべてが夢か幻だったように。
    どんなに惜しんでも、時の流れのなかに
    かき消えていかねばならぬ花の命のはかなさを、
    私達は己の行く末の姿として見据えているのではないか。

    ☆生きるものはやがて死に、会うものは別れ、
    財宝も名利も仮の世の一時の驕りであることが
    否応なく見えて来る今日この頃である。

    ☆此の先、どんなことに驚き熱中するのか。
    私の中の未知の何かが芽を吹くかもしれないと、
    これからの初体験に期待がわく、
    私にはもう老年に甘えている暇などないのだ。

    ☆私は、その日、その日の現在に熱中し、
    無欲脱俗を忘れず、何物にも執着せず
    私流の生き方を求めて歩き続けて参りました。
    これが、私の生きた道です。


(1918年7月2日~2019年2月5日)100歳没






☆ 老いても青春の心 ☆



     私は、過去よりも、今を大切にしています
     現在、我が心に老いを感じない青春状態です

     自分の思考形式として、現実的には
    *脱俗夢想の身で、己の表現を追求します
    *単弧無頼の身で、美学修行と向き合います
    *いつまでも、青春の意気を持って悠遊します






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※ わが人生の雑記帳
旅そのものが人生か?
心の旅~表現の世界を模索




このページの記載内容の期間
2017年~~~2022年
84歳~~~89歳
5年間






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