吉川和夫の月例美術展

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( 2月度の風景画=鳥取県の風景 )

★ 鳥取砂丘を描く ★



( 水彩/パステル  画用紙  6号 330x318mm )

鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘である。山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、南北2.4 km, 東西16 kmに広がる。1955年(昭和30年)に国の天然記念物に、2007年(平成19年)に日本の地質百選に選定された。大山と並んで鳥取県のシンボルの一つとされている。

砂丘の状況
中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっている。海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成された。
砂丘自体は鳥取市福部町岩戸から鳥取市白兎にかけて千代川の東西に広がっているが、通常「鳥取砂丘」というと、千代川の東側の545 haの「浜坂砂丘」を指す。砂丘によって海から切り離されて出来た湖である多鯰ヶ池がすぐ南東にある。
最大高低差は90mにもなり、すり鉢に似た形に大きく窪んだ「すりばち」と呼ばれる地形が作られており、特に大きなすりばち(「大すりばち」などと呼ばれる)は40 mの高さになる。すりばちの斜面には、流れるように砂が崩れ落ちた形が簾を連想させる砂簾(されん)などの模様や、風速5 m - 6 m程度の風によって形作られる風紋(ふうもん)と呼ばれる筋状の模様が見られる。地表は常に乾燥している訳ではなく、すりばちの最深部には「オアシス」と呼ばれる地下水が湧出している場所があり、浅い池を形作る時期もある。2017年は大雪による融雪水が多く、馬の背と呼ばれる砂丘に近いオアシスは約5430 m2、水深1.4 mと例年より大きくなった。

次の写真は鳥取砂丘です。









★ 大山=「伯耆富士」を描く ★



( 水彩/パステル  画用紙  6号 330x318mm )

大山(だいせん)は、日本の鳥取県にある標高1,729mの山。成層火山であるが、活火山としては扱われていない。鳥取県および中国地方の最高峰でもある。角盤山(かくばんざん)とも呼ばれるほか、鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから伯耆大山(ほうきだいせん)、あるいはその山容から郷土富士として伯耆富士や出雲富士とも呼ばれる。日本百名山や日本百景にも選定され、鳥取県のシンボルの一つとされている。

写真は、大山=伯耆富士です。







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( 1月度の風景画=和歌山県の風景 )

★ 世界遺産の熊野古道を描く ★



( 水彩/パステル  画用紙  6号 330x318mm )

熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。熊野参詣道ともよばれる。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。2004年に世界文化遺産に登録。

自然崇拝を起源に神道、仏教、修験道の一大聖地として信仰を集めた熊野三山。熊野へ詣でることで過去・現在・未来の安寧が得られるとして、平安時代の上皇や貴族の熊野御幸にはじまり、近世には武士や庶民にも広まり「蟻の熊野詣」とたとえられるほど多くの人々が列をなして熊野へ訪れました。

熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社と那智山青岸渡寺の総称で、それらの霊場を結ぶ参詣道が「熊野古道」です。これら霊場と参詣道を取り巻く、人と自然が長い年月をかけて育んできた文化的景観が類を見ないものとされ、2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録。以降、ミシュラングリーンガイドで最高の三つ星を獲得するなど世界的な評価を次々と獲得し、国内外から多くの観光客が訪れています。

次の写真は熊野三山(左から熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)








★ 高野山「壇上伽藍・根本大塔」を描く ★



( 水彩/パステル  画用紙  6号 330x318mm )

高野山といえば空海の開いた真言宗の総本山であり、標高900mの山頂にある要塞のような宗教都市である。その中核は金堂・根本大塔をを中心とする“壇上伽藍”である(このエリアの管理は金剛峯寺がおこなっている)。このエリアは特に観光の中心地でもあり、取り立てて説明の必要もないだろう。だが、ここには高野山開山にまつわる伝承の物件がある。

遣唐使として唐にあった空海は、帰国の直前に「有縁の地を探す」べく、法具である三鈷杵(さんこしょ)を海上はるか遠くへ投げ飛ばしたという。そしてその三鈷杵は高野山の松の枝に引っ掛かっていたため、その地を真言密教の修行場としたのであった。

この松は現在でも受け継がれており、金堂と御影堂の間に植えられている。この松には非常に顕著な特徴があり、三鈷杵が引っかけられたために、松葉が三つに分かれている(普通の松は二つに分かれている。ちなみにこの松の葉も多くは二つに分かれており、三つに分かれているものはそれほど多くないという)。この三つに分かれた松葉を見つけだし、それを持っていると幸運が訪れるらしい。

空海がこの高野山に修行の場を開くに当たっては、もう一つの伝承がある。空海がこの地を訪れた時に、高野山へ導いた者があった。それは黒白二頭の犬を従えた狩場明神(高野明神)であった。狩場明神は、この高野山を護る丹生都比売大神(丹生明神)の御子神である。 空海は高野山を嵯峨天皇から賜ったことになっているが、実質的にはこの二神から譲られた形になっている。

壇上伽藍の西端に御社(みやしろ)と呼ばれる、丹生明神と高野明神を祀る神社がある(十二王子百二十伴神も同じく祀られている)。記録によると、空海は壇上伽藍建築に際し、この御社を最初に建てたとされる。鎮守社であるから最初に建立するのが当然と言えば当然なのだが、壇上伽藍の一角に、しかも主要な堂宇に比肩する大きさを持つ社を見るにつけ、それだけこの二神に対する畏敬を感じざるを得ない。

写真は、高野山の金剛峯寺です。







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( 12月度の風景画=奈良県の風景 )

★ 東大寺の大仏殿(金堂)を描く ★



( 水彩/パステル  画用紙  6号 330x318mm )

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。

正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・224世)は橋村公英。

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。

聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立されたが、先発して造立された東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた。ただし江戸時代の東大寺大仏殿再建の際には、上記とは逆に、同時代に京都に存在していた方広寺大仏殿を手本として、東大寺大仏殿の設計がなされた。

江戸時代には、東大寺大仏 (像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏)(像高約19m) の三尊が、日本三大仏と称されていた。

東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

写真は、東大寺の大仏=盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。





★ 法隆寺の「五重塔」を描く ★



( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )

古代インドで仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために造られ始めた塔を、仏塔といいます。

五重塔は、その仏塔の1形式。楼閣形状の仏塔のうち、五重の屋根を持つものをいいます。

京都醍醐寺、奈良興福寺、広島明王院など、国宝に指定されている木造の五重塔は全国に11ありますが、その中でも群を抜いて長い歴史を持つのが、法隆寺の五重塔です。

創建は金堂などと同じく607年(推古15年)。天高くそそり立つ塔は美しく迫力たっぷりで、西院伽藍のシンボルとも言えます。

五重塔を構成する5つの楼閣を、下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)といいます。5層それぞれは独自の世界(思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。

現存する木造建築の五重塔としては世界最古のものである法隆寺五重塔は、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高く設計されていることが大きな特色です。五重目の屋根の一辺は、初重の屋根のおよそ半分のサイズです。塔身もまた、下層から上層へ行くにつれ、細くなっています。

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法隆寺(ほうりゅうじ)は、
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。

法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。

法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

写真は、法隆寺金堂(左)と五重塔(右)です。







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( 11月度の風景画=兵庫県の風景 )

★ 姫路城を描く ★



( 水彩/パステル  画用紙  6号 330x318mm )

姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、ユネスコの世界遺産(文化遺産)リストにも登録され、日本100名城などに選定されている。別名は白鷺城。


写真は、姫路城の連立天守群です。





★ 余部鉄橋(初代の旧橋梁)を描く ★



( 水彩/パステル 画用紙 6号 330x318mm )

余部橋梁(あまるべきょうりょう)は、兵庫県美方郡香美町香住区(旧・城崎郡香住町)余部、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線鎧駅 - 餘部駅間にある橋梁(単線鉄道橋)である。
余部橋梁は2代存在し、初代の旧橋梁は鋼製トレッスル橋で「余部鉄橋」の通称でも知られ、1912年(明治45年)3月1日に開通し、2010年(平成22年)7月16日夜に運用を終了した。2代目の現橋梁はエクストラドーズドPC橋で、2007年3月からの架け替え工事を経て、2010年8月12日に供用が始まった。
新・旧両時代ともに、橋梁下には長谷川と国道178号が通じている。
新旧架け替え工事中からライブカメラが設置されており、新旧両橋梁工事の様子や列車通過の状況、余部地区の季節感がわかるようになっている。
最寄駅である餘部駅の裏山には展望所が設けられており、同駅ホームより小高い位置で日本海を背景に余部橋梁が一望可能なスポットであり、撮影ポイントとしても定番化していた。展望所は橋梁の架け替え工事に伴って2008年(平成20年)4月11日以降一時閉鎖されていたが、橋梁切替時期から供用再開を望む声が多く寄せられ、香美町の定例議会で提案が2010年9月に可決され、補修工事後2010年11月3日に供用が再開された。


写真は、新しい余部橋梁です。 2010年8月12日に供用がはじまった。







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