吉川和夫の月例美術展
( 2月度の人物画=鳥取県ゆかりの人物 )
( 1月度の人物画=和歌山県ゆかりの人物 )
( 12月度の人物画=奈良県ゆかりの人物 )
( 11月度の人物画=兵庫県ゆかりの人物 )
★ 漫画家の「水木しげる像」を描く ★
( 画用紙 水彩/パステル 6号41x33cm ) )
漫画家にして、妖怪画、妖怪研究の第一人者。
1922年大阪府大阪市住吉区生まれ。鳥取県境港市入船町で育つ。
太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征し、爆撃を受け左腕を失う。
復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。
ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた。
1958年に漫画家デビュー。代表作となる『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。
2003年に旭日小綬章。
2007年、『のんのんばあとオレ』で「アングレーム国際漫画祭」最優秀コミック賞を受賞。
2010年、文化功労者、鳥取県名誉県民顕彰。
2012年に『総員玉砕せよ!』、2015年に『昭和史』でウィル・アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞。
2015年11月30日、93歳で逝去。
人柄・性格
*子供の頃は自己紹介の折に「しげる」という名前が上手く発音できず「げげる」になってしまった事から「ゲゲ」と言われており、墓場鬼太郎がアニメ化の際に「ゲゲゲの鬼太郎」に変更されるきっかけになった。
*「胃が丈夫だった」と称し、幼少時から大食漢で「ズイダ」というあだ名(雲伯方言で「何でも食べる浅ましい者」という意味)で呼ばれていた。90歳を過ぎても食欲は非常に旺盛で、特に病気もなく健康そのものだった。自身のツイッターでも食事や間食の様子がたびたび書かれていた。数多い友人の中でも大食漢やよく太った人を喜び、荒俣宏とはよく一緒に旅行しては旅先でグルメを競い合っていた。好物はすき焼き。
*座談が面白いことで有名で、多忙な水木のために水木プロには「面談30分」という貼り紙があったが、実際には水木自身がそれを無視して来客と何時間も会話を楽しんでいたという。また、テレビ番組に出演したこともあったが、ダイナミックに左右に体を動かして話すため、テレビのフレームからはみ出して喋っていたこともあった。
*家を改築するのが好きで、気が向くままに自宅を改築した結果、トイレ5つ、風呂場3つ、階段5ヶ所の2階建て、しかも一部分は3階建てという迷路のような家になってしまったという。また、『東西奇ッ怪紳士録』には「二笑亭主人」「フランスの妖怪城」(郵便配達夫シュヴァルの理想宮)の建築道楽の2篇が収録されている。
*『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌そのままに朝寝を好んでいた。NHKの『あさイチ』で水木プロダクションから生中継が行われた際も、当初から妻の布枝だけが出演する約束になっており、水木本人は普段通り就寝していた。
*水木自身、長生きの秘訣として普段から睡眠の重要性を説いており、自分はどんなに忙しくても1日10時間は寝ると語っていた。逆に、自分より年下の手塚治虫や石ノ森章太郎は徹夜ばかり続けていたために早死にしてしまったと、手塚治虫文化賞の受賞スピーチで語っている。また、水木と同じく長生きの漫画家として知られたやなせたかしも水木の意見に賛同している。
★ 小説家・狐狸庵先生「遠藤周作像」を描く ★
( 画用紙 水彩 6号 41x33cm )
12歳の時カトリック教会で受洗。評論から小説に転じ、「第三の新人」に数えられた。その後『海と毒薬』でキリスト教作家としての地位を確立。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマに、神の観念や罪の意識、人種問題を扱って高い評価を受けた。ユーモア小説や「狐狸庵」シリーズなどの軽妙なエッセイでも人気があった。日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員。文化功労者。文化勲章受章。
来歴・人物
父親の仕事の都合で幼少時代を満洲で過ごした。帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリック夙川教会で洗礼を受けた。1941年上智大学予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表した(1942年同学中退)。
その後、慶應義塾大学文学部仏文科に入学。慶大卒業後は、1950年にフランスのリヨンへ留学。帰国後は批評家として活動するが、1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。第三の新人の一人。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』などがある。1960年代初頭に大病を患い、その療養のため町田市玉川学園に転居してからは「狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号を名乗り、ぐうたらを軸にしたユーモアに富むエッセイも多く手掛けた。
無類の悪戯好きとしても知られ、全員素人による劇団「樹座」や素人囲碁集団「宇宙棋院」など作家活動以外のユニークな活動を行う一方で、数々の大病の体験を基にした「心あたたかな病院を願う」キャンペーンや日本キリスト教芸術センターを立ち上げるなどの社会的な活動も数多く行った。
『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。グレアム・グリーンの熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞候補と目されたが、『沈黙』のテーマ・結論が選考委員の一部に嫌われ、『スキャンダル』がポルノ扱いされたことがダメ押しとなり、受賞を逃したと言われる。
狐狸庵先生などと称される愉快で小仙人的な世間一般の持つ印象とは異なり、実物の遠藤周作は、おしゃれで痩身長躯すらりとした体つき(戦後間もない時代に183cm)の作家であり、豪放磊落開放的な態度で一般とも接するのを常としていた。
出自
1923年3月27日、東京府北豊島郡西巣鴨町(現在の東京都豊島区北大塚)に、第三銀行に勤めていた銀行員遠藤常久と東京音楽学校ヴァイオリン科の学生郁(旧姓・竹井)の次男として生まれた。父・常久は東京帝国大学独法科在学中の1920年に郁と知り合い、翌1921年に結婚。同年に長男の正介、その2年後に次男の周作が誕生した。
かつて鳥取県東伯郡浅津村下浅津(現・湯梨浜町下浅津)にあった遠藤家は、江戸時代に鳥取の池田家に御典医として仕え、維新後同地に移り住んだ開業医だった。明治後期から終戦後まで当地で医業に当たったのは遠藤河津三で、花見村長和田(現・湯梨浜町長和田)には出張診療所も設け繁盛した。しかし、河津三には子どもがなかったため、鳥取市生まれの常久を養子に迎えた。 父・常久は後に安田工業の社長などを歴任する実業家となる。軽井沢の泉の里に持っていた別荘から白水甲二という筆名を編み出し、『きりしたん大名 大友宗麟』という作品を遺している。
次の写真は、遠藤周作文学館にある肖像写真
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★ 世界で初めて全身麻酔を用いた「華岡青洲像」を描く ★
( 画用紙 水彩/パステル 6号41x33cm ) )
医学を学ぶため、23歳で京都に出た青洲は、中国の華佗という医師が麻酔薬を使った手術で多くの人を救ったことを知ります。そして、自ら麻酔薬を作って人々を救いたいという気持ちを持って故郷の紀州平山(和歌山県紀の川市)に帰りました。父のあとを継いで治療にあたりながら、麻酔薬の研究にも取り組みました。
実験への協力を申し出た母と妻に麻酔薬を飲ませ、副作用で妻が失明するという事故を経て、麻酔薬「通仙散」を完成させました。1804年に世界で初めて全身麻酔下で乳がんの手術に成功しました。成功を聞きつけた患者や医学生が全国から訪れ、青洲は診療所と学校を兼ねた「春林軒」を作って、医師を育てました。
青洲の医療に対する考え方は「内外合一(ないがいごういつ)、活物窮理(かつぶつきゅうり)」という言葉に示されています。内外合一とは「外科を志すものは内科も学ぶべきである」、活物窮理とは「生きたもののなかに真理があるから、深く観察して患者自身や病の特質を見極めなければならない」という教えです。また、漢詩をたしなむ文化人でもあり、人生についても深く考えています。
★ 昭和時代の文豪「佐藤春夫像」を描く ★
( 画用紙 水彩 6号 41x33cm )
慶応義塾大学予科文学部に入り、森鴎外(おうがい)や永井荷風(かふう)からも影響を受けた。『スバル』『三田(みた)文学』などに短歌、詩、評論、翻訳を寄せ、文学的成長を図る。大逆事件の大石誠之助(せいのすけ)(同郷の医師)を歌う詩『愚者の死』(1911)や叙情的恋愛詩に力量を示した。慶応義塾を退学、一時油絵に興味をもち、二科展に入選したりした。
14年(大正3)女優川路歌子と同棲(どうせい)、16年には一時神奈川県中里村(現在の横浜市緑区)に転居。電灯もない郊外での生活のなかで、小説の世界への転身を達成、17年には幻想的な『西班牙(スペイン)犬の家』を江口渙(きよし)らとの同人誌『星座』に発表、『病める薔薇(そうび)』を執筆。後者はのち加筆修訂されて『田園の憂鬱(ゆううつ)』としてまとめられ、鋭い感受性が現実のなかで際だつさまを描く代表作となった。
帰京し女優と別れてから谷崎潤一郎と親交を結び、潤一郎夫人千代子と恋愛、三角関係の愛憎のなかで処女詩集『殉情(じゅんじょう)詩集』(1921)をまとめ、有名な『秋刀魚(さんま)の歌』(1921)を執筆。一方、1918年に『李太白(りたいはく)』『お絹とその兄弟』などの短編を発表、『美しい町』(1919)、『都会の憂鬱』(1922)、『佗(わび)しすぎる』(1923)などを書き、文壇に重きをなした。
26年に報知新聞社客員となり、『神々の戯れ』(1927~28)、『更生記』(1929)などの作品にその幅広い感性の発露を示した。『退屈読本』(1926)に代表される随筆評論や、中国の閨秀(けいしゅう)詩人の訳詩集『車塵(しゃじん)集』(1929)も忘れられない。30年(昭和5)8月、潤一郎と連名の挨拶(あいさつ)状を出し、千代子と結婚。しだいに東洋的な文人生活に傾き、法然上人(ほうねんしょうにん)を描く『掬水譚(きくすいたん)』(1935)や詩集『魔女』(1931)などの収穫を得た。戦時中は、発言などにも伝統的な方面への傾斜がみられる。45年から疎開先の長野県佐久(さく)にしばらく住み、詩集『佐久の草笛』(1946)をまとめた。
戦後は、評論集『近代日本文学の展望』(1950)で春夫独特の作品の読みを示し、『晶子曼陀羅(あきこまんだら)』(1954)、『小説智恵子(ちえこ)抄』(1957)などの伝記小説にその力量を示した。『日照雨(そばえ)』(1952)などにも特異な心境の発露がある。持ち前の文人気質に西欧的感性を結び合わせ、その感興の世界を気の赴くままに育て、豊かな文学世界をみせた一生は、近代日本文学に重要な位置を占めている。1948年(昭和23)に芸術院会員となり、60年には文化勲章を受章。昭和39年5月6日没。
★ 第一代の天皇「神武天皇像」を描く ★
( 画用紙 水彩/パステル 6号41x33cm ) )
追記
現在の歴史学では、神武天皇は実在していなかったという学説が有力である。
実在した可能性のある最初の天皇は、崇神天皇であるという説もある。他にも応神天皇を初代天皇とする説や継体天皇を初代天皇とする説もある。
最新の日本歴史研究では継体天皇を実在する最初の天皇とする歴史学者が多い。
1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。
★ 仏教興隆に努めた「聖徳太子像」を描く ★
( キャンバス、油彩 6号 41x33cm )
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GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」
★ 青年時代の「白洲次郎像」を描く ★
( 画用紙 水彩/パステル 6号41x33cm ) )
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した。
<逸話>
1945年(昭和20年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。GHQの要求に対して白洲はイギリス仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張し、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせたといわれる。
次の写真は、兵庫県三田市心月院にある白洲次郎夫妻の墓
右が白洲次郎の墓、左が白洲正子の墓
次の写真は、東京都町田市能ヶ谷にある武相荘
白洲次郎・白洲正子の2人が移り住み、形作り、生涯を通して愛した家
★ 日本初の武家政権を打ち立てた「平清盛像」を描く ★
( 画用紙、水彩/パステル 6号 41x33cm )
伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。
平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、病没した。
<平清盛と兵庫県・神戸>
1180(治承4)年6月から11月までのあいだ、安徳天皇らが福原の地(現在の神戸市兵庫区平野)に入られた、これが「福原遷都」です。都のあった福原の地に、平清盛の足跡があります。兵庫区荒田町の近辺には、荒田八幡神社があり、神社周辺の土地は周囲より高台にあり、都の重要な地であったと考えられる。付近には清盛の弟・頼盛の山荘があったとされ、境内には「福原遷都八百年記念」の碑が建っています。
厳島神社は、広島県広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている。平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。
写真は「厳島神社の大鳥居」(左)と「厳島神社の社殿など」(右)です。
~ 続編 ~
・・ 既に発表済みの人物像 ・・
★ 各地方(都道府県)ゆかりの人物像 ★
2023年01月度 ☆ 和歌山県ゆかりの人物
~華岡青洲像、佐藤春夫像を描く
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↑ 2023年の発表 ↑
↓ 2022年の発表 ↓
2022年12月度 ☆ 奈良県ゆかりの人物
~神武天皇像、聖徳太子像を描く
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2022年11月度 ☆ 兵庫県ゆかりの人物
~白洲次郎像、平清盛像を描く
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2022年10月度 ☆ 大阪府ゆかりの人物
~福沢諭吉像、千利休像を描く
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2022年09月度 ☆ 京都府ゆかりの人物
~親鸞上人像、一休宗純像を描く
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2022年08月度 ☆ 滋賀県ゆかりの人物
~天智天皇像、最澄像を描く
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2022年07月度 ☆ 三重県ゆかりの人物
~松尾芭蕉像、植木等像を描く
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2022年06月度 ☆ 愛知県ゆかりの人物
~織田信長像、豊臣秀吉像、徳川家康像を描く
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2022年05月度 ☆ 静岡県ゆかりの人物
~吉岡弥生像、清水次郎長像を描く
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2022年04月度 ☆ 岐阜県ゆかりの人物
~杉原千畝像、島崎藤村像を描く
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2022年03月度 ☆ 長野県ゆかりの人物
~小林一茶像、松井須摩子像を描く
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2022年02月度 ☆ 山梨県ゆかりの人物
~村岡花子像、大村智像を描く
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2022年01月度 ☆ 福井県ゆかりの人物
~継体天皇像、近松門左衛門像を描く
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↑ 2022年の発表 ↑
↓ 2021年の発表 ↓
2021年12月度 ☆ 石川県ゆかりの人物
~室生犀星像、東善作像を描く
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2021年11月度 ☆ 富山県ゆかりの人物
~高峰譲吉像、堀田善衛像を描く
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2021年10月度 ☆ 新潟県ゆかりの人物
~河井継之助像、西脇順三郎像を描く
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2021年09月度 ☆ 神奈川県ゆかりの人物
~三浦按針像、美空ひばり像を描く
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2021年08月度 ☆ 東京都ゆかりの人物
~葛飾北斎像、堀文子像を描く
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2021年07月度 ☆ 千葉県ゆかりの人物
~伊能忠敬像、佐倉惣五郎像を描く
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2021年06月度 ☆ 埼玉県ゆかりの人物
~渋沢栄一像、荻野吟子像を描く
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2021年05月度 ☆ 群馬県ゆかりの人物
~新島襄像、国定忠治像を描く
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2021年04月度 ☆ 栃木県ゆかりの人物
~田中正造像、田中一村像を描く
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2021年03月度 ☆ 茨城県ゆかりの人物
~横山大観像、男女ノ川像を描く
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2021年02月度 ☆ 福島県ゆかりの人物
~野口英世像、高村智恵子像を描く
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2021年01月度 ☆ 山形県ゆかりの人物
~上杉鷹山像、井上ひさし像を描く
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↑ 2021年の発表 ↑
↓ 2020年の発表 ↓
2020年12月度 ☆ 秋田県ゆかりの人物
~石川達三像、小野小町像を描く
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2020年11月度 ☆ 宮城県ゆかりの人物
~支倉常長像、土井晩翠像を描く
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2020年10月度 ☆ 岩手県ゆかりの人物
~宮沢賢治像、萬万次郎像を描く
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2020年09月度 ☆ 青森県ゆかりの人物
~太宰治像、棟方志功像を描く
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2020年08月度 ☆ 北海道ゆかりの人物
~有島武郎像、シャクシャイン像を描く
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